【共働き】ワーママ、子が小さいうちの働き方極意

転勤族ワーママ ワーママ
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子持ちの共働き夫婦が避けて通れない道、それは子の病気による突発的な休み対応。これにどれだけ苦しめられたことか。ぐぬぬぬぅ。

思い返せば、2人目の育休明けが一番大変でした。もちろん、1人目の育休明けもそれなりに大変でしたが、子どもが1人なのと複数なのとでは大変さがまったく違う。

【きょうだい保育園児あるある~】
病気をうつし合う!

これに尽きます。3歳以上になると病気にかかる率が下がるものですが、下に0歳や1歳がいるとそうはいきません。困るのがどちらか片方が治りかけた頃に、もう片方が発症する時間差攻撃のパターン。

私はインフルエンザの時間差という最悪のシナリオも経験しました。そうなると親は連続2週間、病児の看病が続くことになります。うげぇ。今思い出しただけでもゾッとします。

ここでは屍期における、ワーキングマザー(ファザー)の、働き方の極意について語っております。

※屍期(しかばねき)とは、2歳と0歳、3歳と1歳など、一番下の子が2歳以下で、複数の幼児がいる状態と、ここでは定義しています。親が屍になるくらい大変な期間のことを指します。

Twitterよりお言葉お借りしました。

参考になれば幸いです。

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日々の仕事をキレイに終わらせる。

終業時間まで30分切ったら、新たな作業はしてはなりません。時間が余ったら、日報を書いたり、同僚とコミュニケーションを図ったり、翌日の準備をしたりして、必ずスッキリした状態で退勤するのです。

翌日、子の病気で休みになった場合、2日ぶり、3日ぶり、あるいは土日挟んで4日ぶりなどに出勤することになります。そうすると「おや、私はなにをやっていたっけ?」と記憶を手繰るところからスタートになり、スムーズに業務に入れません。

小児科を受診し、自宅看護していたら、仕事の内容なんて吹っ飛びます。

だから、作業が中途半端なまま退勤するのは避けましょう。どうせ覚えちゃいないんだから。

定時でサクッと帰る。

ワーママ(ワーパパ)は、帰宅後に怒涛のタスクが待っているので、残業はお勧めしません。特に屍期はさっさと定時で帰りましょう。残業なんてしていたら体力が持たないです!

職種によっては難しい場合もあるでしょうが、可能な限り定時で帰ることを習慣化します。残業している人にありがちなのが、残業ありきで日々のスケジュールを立ててしまうこと。17時までの時短にしているのに、何だかんだ毎日18時まで働いていると、自然と脳が「18時まで頑張る」モードになってしまうのです。時短の意味がありません

周囲にも「この人はサクッと帰る人」と思ってもらったほうが、絶対にいいです。

同僚
同僚

あ、もうお帰りの時間ですね。じゃ、この作業は明日お願いします。

と言ってもらえる率が上がります。一方、残業が常態化している人は、

同僚
同僚

定時後だけど、あの人ならまだ会社にいるだろう。

と思われて電話がかかってきちゃうのです。実際に職場にそういう同僚がいました。何だかんだで帰宅できず、通常の定時までいてしまう人が。自分で自分の首を絞めている…!!

作業を同僚と共有する。

同じセクションの同僚に、自分がしている作業を細かく知ってもらう。これをしておくだけで、各段に働きやすくなります。

私がやっていたのは以下の方法。
社内グループウェアの掲示板に、日報を書いて退勤する。作業が完了しているか否か、決定事項や申し伝えがあればそれも書く。

<日報の例>
8/17
・㈱あいうえおシステム 田中様 連絡
 打合せの件、日程調整済み。
 8/31(月) 10:00~ 応接室B
・〇〇プロジェクト
 質問管理表記入、チェック。No.101のみ回答待ち。
・××修正作業
 進捗 50%

特記事項:
購買部より、請求書が来たら提出して欲しいと連絡ありました。

日報として自分の作業を書き出しておくと、翌日急な休みになっても、同僚に「〇〇の件は、代わりに対応お願いします」と連絡するだけで済みます。

大手企業ならこのあたりは最初から標準化されていますが、うちは中小企業なので何もルールがありませんでした。整ってないなら自分たちで作るしかなく、同僚とあみ出したのが日報での共有でした。自分自身の作業メモにもなるので便利です。

己のキャパを知る。

出来もしないのに、出来ます、やります!会社にとって迷惑でしかありません。だったら最初から引き受けないか、引き受けるにしても条件を付けた方がいい。

と、えらそうに書いていますが、私は上記の認識が無かったために、会社に多大な迷惑をかけてしまいました。

全従業員が利用するソフトの入れ替えを任された時、どうしても最終日程に間に合わない事態に陥りました。プロジェクトの担当として、半年間に渡って業者とやり取りし、社内調整し、導入準備を進めていました。しかし導入1ヶ月前になって、子の病気で休みが重なり、間に合わなくなりました。巻き返しを図ろうにも、残業が出来ないのだから困りもの。

焦っていたところトップから「頑張らなくて大丈夫。導入は1週間遅らせてしまいなさい」と声をかけられました。月の半ばにソフトを変更すると、全員に影響が出てしまい、契約上も損をします。しかし「それでいい」と言われました。「大丈夫、大丈夫。俺が決めたんだから気にしない」という言葉、今でも忘れられません。

当時は同じ職種の同僚が退職し、社内に頼る人がいない状況でした。自分がやらなければ、誰にもできないと思い込んでいたのです。

でもそこは組織です。一人で抱え込まず、早くにアラートを上げて、スケジュールの引き直しが出来ないか、上と協議すれば良かったのです。

無理なものは無理。己のキャパを心得て業務を遂行する。

諦めも大事。

復職して1年目は、ある程度の諦めも大事です。仕事に全振りできなくても仕方ない。

私は下の子が年少になったタイミングでフルタイムに戻しました。年少になると病気をしなくなりますし、例え病気になったとしても1日休めば大抵回復します。

時短勤務期間は育休中を含めて5年間でしたが、社会人の5年間、マミートラックを走っていたっていいじゃん、と個人的には思います。

感想とまとめ

2人目の育休から復職した年、毎日のように「何だ、この苦行は!?」と思っていました。それが今では上の子は自力で学校へ行きますし、下の子はオムツが外れ、病気もせず、元気に登園しています。

一番大変だった頃から、わずか3年です。たった3年でこんなに楽になるとは、あの頃には想像も出来ませんでした。

まとめの言葉。

屍期さえ乗り越えれば、どうにかなる。
屍期は意外に短い。

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